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愛の扉は、厳しいのである [困った性格と、傾向と無対策]

『実は、俺はマイケル・ボーンじゃないんだ…』と、のたまうのである。
そして、気になる結末は「シーズン5」へ!である。
(思ったとおりの仕打ちである)

「実は、生きていた」と、死人まで生き返る「何でもあり」のドラマである。
それだったら、「実は、かのんのこと、今も好き♪」とか言って、
俺の人生に、2、3人戻ってもいいのである。
(なんの話だ・・・)

しかし、現実は、そんなに優しくないのである。
実は!現実は、厳しいのである。過酷なのである。ムゴイのである。
「待った」ナシである。「次は」も、「今度」も、ナシである。

「こ、今度ね」とか、逃げ腰になっていると、
ばっさり!「縁」を切られて、気付いたら、「何にもナシ」である。
哀れ、彼女の扉の前で、待ち続ける厄介者になるのである。
(経験豊富なのである…)
どんなに泣いたところで、扉は開かず、首もナシである。
(これも経験豊富である…)

「縁」が強ければ強いほど、「愛」が深ければ深いほど、
逃げると
(裏切りと同じである)その扉は、二度と開かん扉になるのである。
心の一部は、永遠にその扉の前に墓標のように、立ち続けることになるのである。
俺は臆病に、そんなたくさんの裏切りを働いてきた。言い訳はなしである。

愛の扉は、厳しいのである。
俺が、学んだのは、勝負は、常に「今」しかないということである。
今があって、初めて「明日」があるわけである。

なんて、テレビとお話していると、窓が真っ赤に染まり、凄まじい落雷である。
近所に、でかい競技場があり、でかい川原があるから、
「もう思い切り、落ちちゃってください!」のじゅうたん爆撃状態である。
ドラマと違って、こっちのヒトたちは、ドラマチックである。
ギリシャの神々もびっくりの、「大地」と「空」の激しいセックスである。

夏が来たのである。季節も、俺も、「電極が繋がった」のである。
あとは、俺の電極を繋いだ女のブレーカーが落ちないかであるが、
もちろん、そんなヤワな女に、恋はせんのである。

子供のころ、恋をすると、高いところに昇りたくて、仕方なかった。

今は、足首を掴んで、自分を打ちつけ、とことんまで壊し尽くしたいのである。6/17
            Websiteアダムノ林檎に掲載した日記の2日遅れの掲載になっておりますb12-color.jpg
タグ:男と女
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